11月26日 新しいビジネスの話を持ち掛けられて

こんにちは、こんばんわ、おはようございます。

 

僕は勉強ばかりしている。

いつか稼ぐための手段を学ぶために、今は耐える時間だと考えている。

とはいっても勉強することがだんだん楽しくなってきたので、

これは本当に良かったことだと思っている。

まだ結果は出ていないが。

 

彼はそんな僕に対してこう言う。

「実際に稼がないで勉強だけしていることは、

 実戦練習をしないでただドリブルの練習をしているだけだ」

 

 

 

 

 

今日はビジネススクールの仲間であるA君から

違った会社に移らないかと勧められた。

彼はもともとその違う会社にも入っていて、

やっと成果が出始めているという状況で僕に話しかけてきた。

 

その会社に勧誘し入会することでA君にお金がいくらか入る。

それを彼は簡単に言った。それはもともと僕が今入っている会社に

入会するときに勧誘してきた違う彼B君もそういった仕組みで

僕を勧誘してきたということを知らせるためにだ。

だとしても、あまり漏らしてはいけない情報だということは誰にでも分かる。

それでも漏らしてしまった。あまり上手く出来ていないだけかもしれない。

だとすると可愛いものなのだけれど、それでもダメなものはダメだ。

僕は断固としてそういうことをしてくる人を許すことは出来ない。

 

なぜなら、お金が絡んでくるからだ。

つまりそこではビジネスが発生している。

僕は説得される側で、A君は説得する側。

この時点で営業の仕組みがスタートしている。

だとすると、A君がやるべきことは僕を説得することだけだろう。

そうなったとき、僕が彼と対峙することは、

ドラクエでいうところの, vsメタルスライムのようなもので、

戦うことが不可避であり、それを行うことでたくさんの経験値を得ることが出来る。

そんな感じ。もはや現時点で彼の説得の時間は、

僕にとって多大な経験値を得られる最高の場所として考えられる。

 

そう考えると、彼が僕に言ったことはなんだかおかしく聞こえてくる。

「実際に稼がないで勉強だけしていることは、

 実戦練習をしないでただドリブルの練習をしているだけだ」

 

 

彼を利用して何が悪い。その時だけは僕にとって彼は敵となった。

説得する側と説得される側という関係性になった。

だとしたら説得される側が一矢報いることに文句を言ってくることは

ただの負け惜しみでしかないと言わざるを得ない。

そう考えると、なんだか勉強することがどれほど重要かを思い知らされる。

現時点で敵に対する対策しか打ててはいないが、

これが世間に対する対策が打てるようになると、

おそらく彼らは僕に何も言えないのではないだろうか。

 

 

 

 

なんだかもやもやしていたことを言語化することで、

心が晴れたような気がした。

睡眠時間を削ってまでこうしてまとめたことは本当に良かったと思う。

明日も頑張ろう。それでは!

11月24日 オードリー若林さん結婚について

こんにちは、こんばんは、おはようございます

 

今日はオードリーの若林さんが、

一般人の方と結婚するという発表をラジオで行いました。

それほど歴が長いわけではないのですが、

僕も一応リトルトゥースとしてここにいるので

パーソナリティが自分自身で良い方向に

向かわれていると思うととてもうれしいです。

 

結婚が正しいかどうかは未だに分からないと

思っているようなひねくれものなので

どうしてもなんだかもやもやしてしまう部分ってのは

少なからずあるのですが、

若林さんがそれを幸せだと考えていて、

それを実際に実行されたことを考えると、

これよりうれしいことはありません。

パーソナリティが楽しそうになってくれていれば、

僕はとても良い気持ちがします。

だからこそこういった結果になったことは、

すべての方向にとても良い結果なのだと思いました。

 

こうしてまとめてみても、なんだかもやもやしてしまうのは

自分がおそらくダメな人間だという証明だと思うのですが、

結婚が幸せだと考えることこそ社会の考え方なのだなと感じました。

こうして若林さんが結婚して、みんながお祝いして。

これが正しいのだなと感じました。

でもなんだか正しくないような気もします。

これも若林さんが斜めから卒業されるまでの過程で

たくさん考えてきたことなんだろうなと感じます。

皆が正しいと思っているようなことも

本当に正しいのかどうか不安になって、

僕はどうすればいいのだろうと

考え続けてきた結果がこうなったのだと考えると、

ただの一個人である僕が社会からの圧力に対して

抵抗することなどできないのだなとちょっとした絶望も感じながら、

それでもただの社会の中の一部だと改めて認識して、

社会の流れに乗っていくことも大事なのかもしれないと感じました。

 

いつか有吉さんも結婚するのでしょうか。

今まで僕は他人にすがるようなこともそこまでしていないと考えていたけれど、

僕が支えにしていた人はラジオから聞こえてくる声の主だったのかもしれない

と認識することが出来たような気がします。

うすうす感じてはいたのですが、

やはり僕はラジオに生かされているかもしれないです。

11月10日 インフルエンサーについて、なんだかもやもやしたので

久しぶりの投稿。

はあちゅうさんが血液クレンジング

体にいいというデマを簡単に広めてしまったということ、

そして彼女自身がその事象の被害者だと思い込んでいるところが

なんだかもやもやしたので整理してみたい。

 

これはインフルエンサーについての問題なのだと理解した。

彼ら・彼女らは影響力をお金に換算している。

それを広告することによって得られるお金で食いつないでいくことが出来る。

最近、マーケティングについて勉強し始めているが、

この時代に企業として、会社として、

インフルエンサーを利用しない理由はないと感じる。

見込み客に何度もその情報を触れさせ続けるためには、

人々が依存にまで追い込まれているかのような状況になっている

SNSにおける影響力を持つインフルエンサーはテレビの代替な気もする。

つまり、インフルエンサーに企業が近づくことはまさしく健全である。

 

しかしながら、これにはもちろん注意が必要で、

インフルエンサーはリスクを多大に背負わざるを得なくなる。

なぜなら、間違った情報でサービスを行う企業はあまり前面に出ず、

その人によって影響された人が直接インフルエンサーの導きによって

思い通りの行動をさせられたとテレビの広告よりも感じるはずなので、

責任を思い切り背負わなくてはならない。背負い込まなくてはならない。

 

で、例えばそのサービスが科学的に間違っているもしくは

何の証拠もないと分かった場合、

インフルエンサーはデマをマスに広めたことになる。

その事実は変えることなどできない。

これはお金をもらっていなくても、だ。

なぜなら、マスへの影響力を

多大に持つ人こそがインフルエンサーだからである。

だとしたら、インフルエンサーに唯一求められる条件は、

根拠、なのではないかと感じた。

 

根拠を持ち得ていない人に発信する権利などないと言うことは、

暴論でもなんでもないのかもしれない。

 

 

9月29日 久しぶりにあの映画を観た。やはり僕にとっては大切な映画だったなと改めて感じる作品であった。

「響」という映画を借りるためには

どうやら4本同時に借りたほうが

安く済むらしいので

どの映画を借りようか迷っていたところ

この映画がレンタルされていることに気づいた。

それは「あの頃、君を追いかけた」だ。

これはどうやら台湾で映画化された作品のリメイク版であるようで

この言い回しから分かるように、僕はそれを知らずに

以前から話している乃木坂46齋藤飛鳥が主演であることに

興味を惹かれて観ることにした。

 

彼女はただの恋愛映画は見ないという。

現実はそうではないから。

理想を描きすぎているから。

色々な理由があるようで、

それでもこの恋愛映画の

主役を演じようと思ったのは

それらと比較して全く違う役割を果たす

恋愛映画だったからだそうだ。

 

そしてここから僕の感想に入ろう。

2回目の鑑賞であった。

1回目は涙をほんの少し流した思い出がある。

珍しく友達と2人で一緒に行った映画だったので、

ある程度我慢を下が抑えきれずに出てしまったような気がしている。

実際にはどうかハッキリと覚えていないのだけれど

なんだかそんな感情が今の僕には残っていた。

そんな中での2回目の鑑賞。

やはり良かった。

齋藤飛鳥と山田祐貴の関係性がとても歯がゆく、

いっそのこと0か100か分かってしまったほうが

前に進むのではないかとさえ思うほどだった。

それでも彼らは本気で悩んで

本気でその決断をしたのだなと思うと

なんだか僕の粉の感情は野暮なのだなと感じた。

彼があそこで彼女の返事を聞いていたら。

泣いている彼女の涙をあそこで拭ってあげていたら。

プライドを捨てて、謝ることが出来ていたなら。

そんな結果論ばかりが渦巻いてしまうのだけれど、

それでもそこにあった結論を受け入れていくことが

彼らの運命なのだなと妙に納得した。

彼らがそうある以上、僕らにつべこべ言う権利などないのだ。

なんだか愛とは呼べないような気も周りから見ればするのだが、

それはそれで彼等にとっての愛であって、

彼らにしかなしえない関係性であって、

彼らにしか生み出せない空気感なのだなと感じた。

周りと比べることの愚かさを改めて認識させられたのだが、

それと同時に周りから押し付けられる自分という存在を

どう認識するかを考えなければならないのだなと感じた。

彼は一生懸命で、幼稚で、バカなのだけれど、

一生懸命自分を生きているような気がした。

そして、周りの友達も彼に自分にとっての彼の理想像を押し付けることなく

優しく見守っている様子がとてもいい環境だなと感じた。

自分らしくいることはこの現代で本当に難しいのだけれど、

それが成り立つ彼らの生き方になんだかとてもほっこりした。

 

そして、どう見ても齋藤飛鳥は可愛いのだなと実感する。

うーむ。難しい。

例えば、僕が彼女と近づけたとして、

彼女のことを僕はもちろん知っているのだけれど

それでも知らないふりをしなければ彼女との距離は縮まらないし、

もし縮まったとして僕が好きな彼女というのは

その顔が好きなだけなのかもしれないし、

もしそこが否定されてしまうのであれば

男女という概念なんてないのではないかとすら感じるし、

僕は他人に対してそんなに興味もなく、

(実際はそうではないのかもしれないのだけれど、)

もしも他人と接するのであれば何らかのメリットを求めてのことだろうし、

とはいってもいつの間にか誰が捨て忘れたかもわからない

電車の中のごみを拾っている自分がいることも確かで、

アンビバレントとはまさにこのことで

自分に整合性が取れないこのむずがゆさに

頭がおかしくなりそうなこともあるので

あまり考えないようにしたりする。

 

だからと言って他人に

僕を結論付けさせることは大嫌いで、

君の知らない僕はどこにでもいるのに

知ったかぶれの君に指図されることなど

何一つないのだという結論には至っている。

 

だから今の僕はこうして

考え続けることしかないのだと感じたりもする。

そりゃそうだろと言われる筋合いもないのだが、

そういいそうな人も思い浮かぶ。

うるせえ。バカ。黙ってろ。

彼らにそう言ってやりたい気持ちはやまやまだが

なんだかそれも違う気がする。

人生の話などくそくらえ。てめえに何が分かる。

ああだこうだ御託を並べてみたけれど、

僕が思うのはそれだけなのかもしれない。

9月24日 今日も楽しい日常を送っている。この間見たライブがなんだか忘れられなくて、なんだか不安が心の片隅にある。

つい先日、欅坂46の東京ドーム公演を見た。

最終日。

欅のライブに参加するのは小さなフェスのようなイベント以来で、

ワンマンライブというのは初めてだ。

とても楽しみ。

平手がどんな感じなのか。

それによってこのライブの感じ方は変わるし、

僕の中でのこのライブの評価も変わる気がしていた。

 

結論。

とても素晴らしかったけれど、

期待をし過ぎてしまったのかもしれない

というのも少しだけあった。

これは欲張りと言われれば

何も言えないので注意しなければならないのだけれど、

素晴らしいライブだったことは間違いない。

よく考えると、

拾いきれなかったストーリーが

たくさんあったことを思い出す。

カフェテリアさんは3部構成ではないかと仰っていた。

難しい。そこまで考えることができなかった。

次は何の曲なのだろう、としか考えていなかった。

 

例えば、Student Danceのような

分かりやすいストーリーはある程度理解したけれど、

それまでだったなと後悔する。

ただ一つ言えることは、

とても盛り上がったこのライブを

その会場で直に味わうことが出来たことの価値は

計り知れないと思ったりする。

そんなに盛り上がらない僕が、

手を肩の上にあげてまでワイワイしていたことは本当に珍しい。

それほどの凄まじいライブでもあった。

 

最後の2曲はエゲツない瞬間に立ち会えたと思う。

死にそうになりながら表現する「不協和音」、

センターステージでたった一人でダンスを踊り

客を魅了する平手友梨奈

そして彼女に当て書きされた「角を曲がる」。

 

不協和音は久しぶりの披露だった。

といってもどれくらいやっていなかったのかはよく知らなかったので

少し調べてみると1年半ほどやっていなかったようだ。

紅白でのあの1件があってから制限されたように感じる。

欅坂46に対して何の興味もない人にとっては

少し怖く感じてしまうかもしれないけれど

彼女たちはこの曲を死に物狂いで表現する。

それこそ紅白では過呼吸になって倒れてしまったような子もいる。

そんな不協和音。それがこの東京ドームで久しぶりに披露された。

 

彼女の肝っ玉の大きさもそうだし、

それを支える振付師の人たちもそうだし、

ステージを構成した美術さんもそうだし、、、

あげ続けたらきりが無いのだけれど、

凄まじいプロの集団が凄まじい表現を

僕たちに提供してくれているのだと思うと、

自分は何をしているのかと少し悲しくなったりするが、

励まされたりもした。

 

彼女は世間からあるべき姿を提示されて、

それにのっとっていればどうにか平和に生きていけるのだけれど、

そう簡単にそうなりたくないと願う自分もいることを理解していて、

そうなれないことを意識しつつも

自分自身として我を貫きながらそこにい続けることの

難しさも身をもって理解していて、

それでも自分として居たい自分自身でい続けることを選んだ

彼女の生きざまのような、表現のような、

そんな彼女の存在がとても尊く、

彼女がこの世界を変えてしまうのではないかとさえ思わせるほど

何らかの力を見せられているような気がしてしまうのは

あの公演を見た人なら誰しもが感じていることのように思う。

今にも消えてしまいそうな、本当に儚くそこに存在する

5~6万人の中心にぽつりと踊りまわる平手友梨奈

僕たち自身の様にも感じるし、

そこで存在を認識してほしいかのように

飛び回る小さな虫のようにも感じた。

 

なんとも素晴らしい公演だったなと感じる。

9月15日 正直言えば、現状に満足することなどは絶対に出来ないのだけれど、それでも満足できてしまいそうなのはなんとなく僕が弱いせいなのだと思ってしまい、特に病むわけでもないのだけれど、なんだか自分が前に進めているのか、とても疑問なのは言うまでもありません。

今日はなんだか不安な1日でした。

何があったわけでもありません。

ただ普通に1日を過ごし、

自分のやりたいことをやることに対して

時間を使いました。

 

大切なものは何かを見極める必要は

絶対にあると思いました。

今こうしてブログを書くことは

色々な面で意味があることだと思います。

文章力を上げてみたり、

自分の今日あったことを振り返って

自分を可視化することを試みたりしています。

つまり意味がある行為なのではないかと思ったりします。

 

まぁ、とりあえず今日は

好きなラジオをたくさん聞くことが出来ました。

・オードリーのANN

爆笑問題カーボーイ op1時間分

Creepy NutsのANN0

合計4.5時間

 

よく考えてみると、

僕が一番費やしたい時間は

今日に限るとこれだけでした。

あれ。

おかしいな。

思ったより時間がかかっていない。

今日は確か8時に起きました。

それからこのブログを書いている時間が9時前です。

つまり、起きてから今まで16時間

経過していることになるようです。

ご飯の時間を抜いたとしても14時間。

読書を1時間半。

恐ろしいことが分かりました。

僕は無意識のうちに12時間半ほどの時間を

無駄にしてしまっているということが分かりました。

身につまされるような思いです。

恐ろしい。。。

 

どうやら僕は時間を無駄に過ごしてしまっている

ということは否定できないようです。

冷静にこの休みの期間を有効に使えるように

一度見直してみるのも大事なのでやろうと思います。

頑張ります!!

9月12日 筋トレの極意とは何ぞやという話になれば、結局のところ少しでも続けることが重要なのは誰しもが理解していることなのです。とはいっても誰しもが続けていくことが出来るわけではありません。なぜかぼくは続けることが出来た側の人間だったというだけであり、他の人は続けることが出来なかったというだけなのです。どうやら科学的に見てみると、運動習慣を身につけることは相当難しいことのようで、無意識のうちにそれが出来てしまった僕は本当に幸運だったと思いますし、そう判断できるようになるための知識を身につけることが出来たこ

今、思っていることを書き連ねよう。

 

僕の趣味はラジオです。

楽しいことばかりがそこには詰まっている。

大好きなお笑い芸人さんが

僕らと一緒に笑い転げているような気分になる。

そこで一緒に笑いあって、

楽しい時間を費やしているような気すらしてしまう。

とてもいい空間だと思うし、

その価値に他の人があまり気づいていないというのも

さらなる価値が生まれてる。

そこを聞いている人はパーソナリティにも信頼されるし、

僕自身ももちろんパーソナリティを信頼している。

この関係性こそが価値なのだと気づいたりする。

今のところ、教えて聞いてくれた人は本当に少ない。

やはり、僕自身がこの空間を好きなのであって、

それを勧められた人は僕との関係性によってそれを聞いて

それを面白いと思って聞いているだけであって、

空間そのものを好きではないんだなと感じる。

本当にもったいないと思う。

これは僕を作り上げるうえで、

一つの礎になったのは間違いないと思う。

そしてほとんどの人がこうして考えながら聞いていないということが

僕自身の希少性が際立つのではないかとさえ思う。

これをどうにか僕自身の周りにも

反映していけたら最高だと思う。

具体的に言えば、ビジネスだろうか。

インプットをしたらアウトプットを

しなければいけないのは当たり前で。

そんなことを胸を張って偉そうに言っている人をよそに

僕自身、考えながら進み続けていきたいと思う。

これが今の僕の課題。

 

 

タカアンドトシの単独ライブに行ってきた。

めちゃめちゃ面白い。

やはりプロというものは凄いのだなと考えさせられた。

プロとアマチュアの差というのを

なんだか突き付けられたような気がして、

僕自身ももっとがんばらなくてはいけないのだなと感じた。

 

 

春高校3年C組の男子アイドル部が

カズレーザーさんに怒られているところを拝見した。

別に怒られているわけでもないのか。

ただダメなものはダメだと言われているだけなのか。

それを言われてすぐにしゅんとしてしまう

彼らの様子はとても面白かった。

口では反省の思いを言っていたけれど、

実際のところ、なんだかんだ出来ていると

勘違いしてしまっていたのだろうな、と思う。

これは僕ももちろんそうなることは多々あって、

なんだかんだで怠けているのだろうな、

ということはよくある。

だから、あれを見ていて自分にも刺さるな、

あそこにいたらすぐに泣きそうになって

そこをカメラで抜かれてしまうな、

抜かれたら思いっきり顔が赤くなって

余計泣きそうになってしまうな、

なんて思ったりした。

あそこに立つということは

そういうことであって、

パフォーマンスでお金をとるということは

そういうことなのだと改めて感じた。

怠けているばかりではしょうがない。

僕は僕が出来ることを少しずつやっていくしかないのだろうな。

皆よりも一歩前に進むためにも

やらなくてはいけないことをやり続けなければ。

 

常に反省し続け、自分を見続けないと、

もっときつい言葉で言えば監視し続けないと

調子に乗った時、自分自身で

長くなった鼻を折ることは出来ないのだろうな、

と感じた。

頑張ろう。頑張ろう。頑張ろう。

明日はきっと良い日になるし、

今日をいい日にするのは自分だろう。