9月9日 習慣づけるための習慣を作ろうとしている僕ですが、やはりなかなか難しいところもあって、少しばかり苦戦している部分は多々あるのですが、これは正直、未来の僕のためでもあるのでやらなければならないことなのだなと感じています。むしろ感じざるを得ません。

習慣の重要性を学びました。

僕は習慣をより深く認識することが

重要なのだと理解しました。

これは周りがあまり気づいていないことです。

周りとの差ともいえるかもしれません。

 

そういった意味でも、

勉強とは常にし続けるものなのだなと感じています。

面白いことも言えないどちゃくそ真面目人間だとしても、

どうにか面白く世の中を生きていけるように、

面白いネタを書けるわけでもないのだけれど

生きざまが面白い"芸人"になることは出来るのかしらと

思ったりしました。

 

とはいっても怠け癖は抜けません。

常に前に進み続けれているのかというと

深くうなずくことは出来ないのかもしれないのですが、

なんだか認識できる僕自身が出来上がっているようで、

僕の中にいる自分というものを分別出来るようになっているようで、

充実感があります。

 

そうすると、

その対策も考えることが出来るようになります。

それが分かれば、僕自身が何者かになるための

何らかの方法が見つかるのかもしれないと

深くうなずくことが出来るようになると思うのです。

 

ともすれば、

僕自身、前に進んでいると実感していなくても

前に進んでいると認識できる自分が

そこに生まれてきているのではないか

と考えたりもします。

 

おそらく僕はまともです。

まともが世の中に白旗を振るのは

どうにも早すぎる気がしてなりません。

諦めたらそこで試合終了だとは言いますが、

人生長い中でセーブポイントを決められている間に

出来ることは何でもやっておくことは大事なのだなと

本当に感じています。

 

今、僕が出来ることは何なのでしょうか。

考え続けましょう。

問い続けましょう。

僕の知らない世界はあまりにも大きい。

それを探し続ける残り80年間は

僕が何者かになるための残り時間なのだと感じます。

9月5日 どうしたらいいのだろう?

今日は東京03の単独ライブを見に行った。

とても面白かった。

パンフレットを買えばネタの作り方の過程を

教えてくれると言っていたのに、

お金がないという言い訳で

買いそびれてしまった。

反省。。。

買っておけばよかったと今になって思う。

ネットでも買えるのか。

安くなってから買おうか。

買うことは決めておこう。

 

高校時代の友達Aと行った。

彼は興味があっても自分では探さないようだった。

なんだか不思議に思った。

どうして自分で探さないのだろう。

これは悪口ではなくて、ちょっとした疑問だ。

違った高校の友達Bはこうも言う。

高校卒業してからあのアイドル見なくなっちゃった。

君はあのアイドルを好きではなかったのか?

僕は好きだったから、今でも好きだ。

君は何が好きだったんだい?

君の好きはこうも簡単に変わってしまうのだろうか?

どうしてだろう。

これも悪口ではなくて、ちょっとした疑問だ。

 

未来は自分で切り開いていくのに。

自分はどこにあるのか。

今後自分は何になるのか。

何になりたいのか。

それに失敗したらどうするのか。

 

どうして考えないのだろう。

友達Aは大学に入ってからラーメン屋でバイトを始めた。

そこにとてもタイプな女の子がいて、

その子に目を奪われているらしい。

その子とつりあう為に背伸びをしているのか、

タバコを吸い始め、ギャンブルを始めた。

髪も茶色に染めて、サングラスを買っていた。

 

大丈夫だろうか。

彼は背伸びをしていることに気づいているのだろうか。

もしかしたら僕が考えているだけで、

これは背伸びではないのだろうか。

これは大学生になったら

起こる生理現象のようなもので、

何が正しいかを判断できなくなってしまうのだろうか。

否、むしろそれは正しいのか。

中毒性があり、体に害を与え、

自分のお財布も軽くなってしまうものを

文化として自分に取り入れることは

自然の摂理としてそうなってしまうのだろうか。

だとしたら僕はどうして

ここに取り残されているのだろうか。

 

僕はタバコなんて吸いたくないし、

ギャンブルにだってハマりたくない。

しかしながら、雰囲気としてそこにそれが有ったら、

僕は断れないだろう。

人間として雰囲気にのまれてしまうことは

認めざるを得ない。

何が正しいとか、そういうことではなくて、

環境に流されやすいというのは否定できない。

だから彼をあそこまで攻める権利なんてないのか。

いやー、難しい。

 

彼を否定することなんてできるのか。

僕が彼のような存在ならば、

彼のようになってしまうのか。

なってしまうか。

そんなに人は強くないのか。

 

だとしたら、

僕に出来ることは、

より良い環境に身を置くことぐらいなのだろう。

変なところに行ったら周りに引き戻してもらおう。

それくらいしか僕には手が無いのだ。

 

今日は最初からよく考えた。

何もかもをひっくるめて彼と話がしたかったけれど、

僕の考えはなんだかちっぽけなんだと実感する。

世界を広げることは悪くなんてないのだ。

正しいことを正しいと言える自分の指針さえあれば。

8月22日 授業が終わって、どれだけの人があの授業から今後は多文化意識を持とうと考えたのかということをあの時に見た周りの様子から想像すると、本当にごく少数なのではないかと感じた。あの時に言い返せなかったのは僕が弱かったからだと思う。反対意見を言ってもいいのに。言わなければ分からないかもしれないのに。それでも彼らと距離を置くという選択を選んだ。何だろうか。そんな気持ち。

授業をしっかりと受けようと

思い始めたのはいつからだっただろうか。

周りを見ると自分が相対化され、

よりそう感じる。

 

大学生として出来ることは

何だろうと思う。

僕はまだ未熟な人間として

何が出来るだろうと思う。

僕を育ててくれた親は

成熟した人間なのだろうか。

成熟した人間を

僕は見たことがない気がする。

 

それぞれの選択をして、

その道を歩いていくうちに

出来上がったその人自身の自分が

どうして同じものになるだろうか。

どうして大きく見積もるのだろうか。

 

困るな。

僕は僕なんだと言いたいけれど、

どうにも僕を主張するためには

その空間にいる「僕」に

ならなきゃいけないようで

そうなるのが嫌な僕は

途方に暮れるしかないようだ

 

 

 

 

なんだか歌詞みたいになってしまった。

情けない。

少々、僕はポエマーのように

語ってしまうところがある。

若月大先生も同じような感じだったか。

同じように考えるのは失礼か。

 

まあ、それはどうでもよくて

皆が思ったより何も考えていないということに気づく。

昨日、高校からの友達のC君と会った。

彼はどうやら授業で単位を取得するのだけが

目的となってしまっているようで、

そういうものなのかと納得した。

 

意外とよく聞けば結構面白い話をしている。

というか、いつも僕が

考えていたようなことを授業にしていた。

ここでも同じように、

意外とみんなこういうことを

考えていないのだなと感じた。

周りのみんなの興味が薄いということが

雰囲気から分かる。とても感じる。

なんだか寂しくなった。

 

勉強したら成功するのだろうか。

成功する近道になるだけだろうか。

成功させるのは僕がやるべきで、

その方法を教えてくれるのは

あらゆる知識人なのだろうか。

 

確信なんてできない世界で

どうやって自分のアイデンティティを見つけていこうか。

面白い毎日が明日も待っているのだと思う。

今日もいい一日だった。

明日も頑張ろう。

8月20日 いつの間にかこんなに日付が経ってしまった。忘れがちなこのブログの執筆は日付感覚を養うためにもいいトレーニングなのだと少し離れた期間を経ることによって実感する。

いつの間にか経過した20日間。

びっくり仰天なのは言わずもがななのだけれど、

なんだかんだでいい夏休みを

過ごしているような気がしている。

 

というのも、

勉強をし続けることが大事だという実感を

とてつもない確信とともに胸に掲げているからだ。

 

最近は夏季集中講座がある。

約4日間。

3日間が過ぎたけれど、実りある授業だと感じている。

今まで感じていた違和感というか、

なんだかもやもやしていた心の中の何かが

言語化されたような気がしているからだ。

 

多文化社会。

僕の心の中に刻み込まれた言葉だ。

相手の意見と自分の意見を吟味しながら、

適宜自分が良いと判断した行動基準を行っていく。

文化を相対化してどちらかを否定するのではなく、

色々あるんだよとそこに置いておくことが大事なのだと感じた。

 

これを自分の少ない経験から

実感をもって勉強することが出来たのだけれど、

どうやら周りの人たちはそれほどそう感じていないようだった。

なんだかもったいないなと感じた。

こうして身の回りの出来事として勉強することが出来た僕は

どうやら周りに比べて幸運なのだなとも感じる。

 

馬鹿にしすぎるのもあまりよくないが、

周りの人たちはあまり社会について

興味を持っていない。ように見える。

どれだけ考えているのだろう。

今遊ぶだけでは不十分だと

どれだけの大学生が考えているのだろう。

 

不思議だ。

当たり前のように知らないことがあるこの世界の中で、

そしてもうすぐ社会に放り出されてしまう

子猫のように弱弱しい大学生ごときが

何をそんなに遊ぶことがあるのだろう。

何をそんなに遊べることがあるのだろうか。

 

心配性の僕には考えられない。

武器のない人間を誰が欲しいと思うのだろうか。

そもそも彼らは武器を持っているのだろうか。

分からないな。難しいな。

 

自分に武器がないと考えて、

刀を研いでおこうとする態度が

今後絶対に必要になってくると思うだけれど。

 

こんなことを言っているけれど、

僕は就活で苦労してしまうのだろうか。

「何者」をよく見る必要があると思う。

あの中で最後まで残ってしまった彼は

自分は何もしないで他人の批判ばかりしてしまっていた。

頭の中にあるキャンパスだけ広げていた岡田将生

価値がなかったのと同じ意味だと思う。

彼らは何者かになろうとしている誰かを

笑っていた何者でもないやつだ

ということを言いたいのだと思う。

 

ならば僕も何かをしようか。何をしようか。

今は本を読もうか。ビジネスをやろうか。

プログラミングをやろうか。

何をやっても、何に取り組んでも、

全部どこかでつながっている気がするのは僕だけだろうか。

 

とにもかくにも、

今日もいい一日だった。

明日もたくさん勉強していきたい。

明日も頑張ろう。

8月15日 いわゆる旧友に再会して、久しぶりに話してみると、なんだか彼らが少し背伸びをしているような気がしたり、何も変わっていないような気がしたり、自分よりもガキのような気がしたりした。大学生という期間は遊ぶ期間のように捉えているように感じた。これではますます差が開いているようで、僕自身の進み具合がどうやらある程度は至っているという実感を得る夜でもあった。心地悪い雨の中で、何も変わっていないと下に見られることにもなんとも思わず、なんだか彼らとの夜は寂しい木枯らしが吹いているようにも感じた。

昨日、A君とB君と会った。

 

久しぶりの再会。

なんだかんだ楽しい空間。

少しの気まずさがあったにしても、

結果的にはいい感じで終わった。

そういう関係性。

 

いろいろと話を聞いた。

彼らは女の子にしか興味が無いようだった。

大学で遊びたい人間たちだと思った。

もちろん僕自身もその一面があることは否定できないし、

その立場にいることが出来なかった人間だけれど、

やはり環境によっては

それに没頭せざるを得ないのかもしれないと感じた。

 

僕があっちの立場ならどうしていただろう。

可愛い女の子がバイト先にいて、

その子に気に入られるために、

ピアスを開け、タバコを吸い、

パチンコをやりだすのだろうか?

 

正直、僕はそこに入ったらどうなるか分からないので、

あれほどまでに断罪してしまったのは間違いだった、

と今になって思う。ダメだった。

 

んー。少し違うか。

悲しかっただけなのかもしれない。

僕や彼のような日の目を見ないような人間は、

最初に持ち合わせたスペックを

生かす人間たちに勝つためには

愚直に頑張るしかないと

僕は考えている。

 

何かを持ち合わせていない僕たちは

何かを後天的に取得していかないといけない。

僕らは人間なのだけれど、ただの人間だ。

その意識を忘れてはいけないと感じた。

 

スペックを持ち合わせた人たちが

歩いた道のりを同じように歩いていては

仕方がないのではないか。

 

スペックを持ち合わせていないだけなのに、

先に持っているだけの人に

負けてしまうのではないか。

考え続けなければいけないことだと思っている。

 

人と同じことをやっていても

しょうがないとはよく言うが、

本当にその通りだと思う。

ただ、それが目的化してしまうと話は変わる。

だからそれを目的化してはいけない。

 

もしかしたらこれも僕自身の指針でしかないので

誰しもに当てはまるわけではないのだけれど、

僕は幸運にもいわゆる大学生が

あまり興味を持たない分野に興味を持っている。

ビジネス。マーケティング。政治。

 

これは正直、滅茶滅茶運がいい。

彼にも教えてあげるべきか。

うーむ。正直ここは難しいところ。

Giverになりきれないところでもある。

 

彼の将来を考えれば、この経験は確実にためになる。

どこにでもいる大学生ではない

という価値が生まれるはず。

 

これを教えるべきか。

彼は知らないだけなのか。

知っているのだろうか。

目をつむっているのだろうか。

正しい方向へと進んでいるのだろうか。

 

分からない。分からない。分からない。

どうしたらいいのだろう。

考え続けようと思う。

8月14日 お盆がほぼ終わり、キツイはずのバイトの連勤があっけなく終わり、勉強する時間が確保できたので、僕のやりたいことをしっかりとやっていきたいと思うところであります。

今日はかき氷を食べに行った。

ふわふわなやつ。

結構な美味しさ。

初めて食べて、テンション上がって

2杯目を食べたら、家に帰ってからお腹が痛くて仕方がない。

あーあ。

残念な気持ちも多少ある。

しかしながら。

まあ、美味しかったからいいかなとも思う。

これくらいの思い。

美味しかったからいいかな。別にって感じ。

 

GIVE&TAKE

「与える人」こそ成功する時代

 

僕は今この本を読んでいる。

なかなか面白い本。

考えたこともないようなこと。

僕はどの位置に属するのだろうと考えるきっかけになった。

どうにもマッチャーっぽい。

色々傷ついてきた結果がそこに行きつかせたのだと思う。

今後も読むのが楽しみな1冊。

 

 

結構な時間がたって、少しだけ読むモチベーションが下がっている。

やっぱり興味を持った時、すぐに行動に移すことが大事っぽい。

学習、学習。

次からはすぐに読み切ろうと思う。

そのほうが効率的。

興味があるうちに。

8月8日 今日はバイト。夜のシフトなので、もうやりたいことはやりつくした状況にあります。

今日の僕はもう終ろうとしています。

今からバイト。

その間は何もできません。

これによってお金をいただいているので、

なんとも言えないというところもあるのですが、

しかしながらやはりバイトをするということは

なかなか難しいことだなと思います。

 

これをしてどうなるのかということも

お金を稼ぐこと以外、特にありませんし、

そのために8時間ほど拘束されるということも

なんだかよく分かりません。

 

こう考えてしまうのも、無理はありません。

なぜなら、友達と遊ぶことすら

無駄だと考えてしまうほどの自己中心だからです。

これが悪いとも思っていません。

こうでもしないと自分自身が

造られないのではないかと

考えているからです。

僕自身、ほとんど何もありません。

それを自覚しています。

だからこそ言っているのです。

僕を成熟させるためには、

知らないことが多すぎると思うのです。

しかも、それを知るということは

幸運なことにとても楽しい。

だとすればそれを阻むものは

何らかの問題があると思っています。

 

今日は主に青春高校3年C組を見ていました。

また、佐久間宣之のANN0を聞いていました。

どちらもとても面白かったです。

お笑いのノウハウを学んでいる気分でした。

どうして彼らが認められるのか。

どうして彼がこの番組の

パーソナリティを務めることが出来るのか。

圧倒的に示されたと思いました。

とても面白かった。

 

今日は本を読むことは出来ませんでしたが、

とても充実していた印象です。

明日は1日フリーです。

だからやりたいことをやろうと思います。

映画も見たいのですが、

なんだか暑すぎるので外に出る気にもなりません。

だから、明日は主に溜まったラジオを聞いて、

本を読んで、ビジネスの勉強をしたいと思います。

もう少し具体的に決めていこうと思います。

こうして、明日もいい1日になりそうです。

毎日を充実させていこうと思います。

楽しみです。