8月20日 いつの間にかこんなに日付が経ってしまった。忘れがちなこのブログの執筆は日付感覚を養うためにもいいトレーニングなのだと少し離れた期間を経ることによって実感する。

いつの間にか経過した20日間。

びっくり仰天なのは言わずもがななのだけれど、

なんだかんだでいい夏休みを

過ごしているような気がしている。

 

というのも、

勉強をし続けることが大事だという実感を

とてつもない確信とともに胸に掲げているからだ。

 

最近は夏季集中講座がある。

約4日間。

3日間が過ぎたけれど、実りある授業だと感じている。

今まで感じていた違和感というか、

なんだかもやもやしていた心の中の何かが

言語化されたような気がしているからだ。

 

多文化社会。

僕の心の中に刻み込まれた言葉だ。

相手の意見と自分の意見を吟味しながら、

適宜自分が良いと判断した行動基準を行っていく。

文化を相対化してどちらかを否定するのではなく、

色々あるんだよとそこに置いておくことが大事なのだと感じた。

 

これを自分の少ない経験から

実感をもって勉強することが出来たのだけれど、

どうやら周りの人たちはそれほどそう感じていないようだった。

なんだかもったいないなと感じた。

こうして身の回りの出来事として勉強することが出来た僕は

どうやら周りに比べて幸運なのだなとも感じる。

 

馬鹿にしすぎるのもあまりよくないが、

周りの人たちはあまり社会について

興味を持っていない。ように見える。

どれだけ考えているのだろう。

今遊ぶだけでは不十分だと

どれだけの大学生が考えているのだろう。

 

不思議だ。

当たり前のように知らないことがあるこの世界の中で、

そしてもうすぐ社会に放り出されてしまう

子猫のように弱弱しい大学生ごときが

何をそんなに遊ぶことがあるのだろう。

何をそんなに遊べることがあるのだろうか。

 

心配性の僕には考えられない。

武器のない人間を誰が欲しいと思うのだろうか。

そもそも彼らは武器を持っているのだろうか。

分からないな。難しいな。

 

自分に武器がないと考えて、

刀を研いでおこうとする態度が

今後絶対に必要になってくると思うだけれど。

 

こんなことを言っているけれど、

僕は就活で苦労してしまうのだろうか。

「何者」をよく見る必要があると思う。

あの中で最後まで残ってしまった彼は

自分は何もしないで他人の批判ばかりしてしまっていた。

頭の中にあるキャンパスだけ広げていた岡田将生

価値がなかったのと同じ意味だと思う。

彼らは何者かになろうとしている誰かを

笑っていた何者でもないやつだ

ということを言いたいのだと思う。

 

ならば僕も何かをしようか。何をしようか。

今は本を読もうか。ビジネスをやろうか。

プログラミングをやろうか。

何をやっても、何に取り組んでも、

全部どこかでつながっている気がするのは僕だけだろうか。

 

とにもかくにも、

今日もいい一日だった。

明日もたくさん勉強していきたい。

明日も頑張ろう。