8月22日 授業が終わって、どれだけの人があの授業から今後は多文化意識を持とうと考えたのかということをあの時に見た周りの様子から想像すると、本当にごく少数なのではないかと感じた。あの時に言い返せなかったのは僕が弱かったからだと思う。反対意見を言ってもいいのに。言わなければ分からないかもしれないのに。それでも彼らと距離を置くという選択を選んだ。何だろうか。そんな気持ち。

授業をしっかりと受けようと

思い始めたのはいつからだっただろうか。

周りを見ると自分が相対化され、

よりそう感じる。

 

大学生として出来ることは

何だろうと思う。

僕はまだ未熟な人間として

何が出来るだろうと思う。

僕を育ててくれた親は

成熟した人間なのだろうか。

成熟した人間を

僕は見たことがない気がする。

 

それぞれの選択をして、

その道を歩いていくうちに

出来上がったその人自身の自分が

どうして同じものになるだろうか。

どうして大きく見積もるのだろうか。

 

困るな。

僕は僕なんだと言いたいけれど、

どうにも僕を主張するためには

その空間にいる「僕」に

ならなきゃいけないようで

そうなるのが嫌な僕は

途方に暮れるしかないようだ

 

 

 

 

なんだか歌詞みたいになってしまった。

情けない。

少々、僕はポエマーのように

語ってしまうところがある。

若月大先生も同じような感じだったか。

同じように考えるのは失礼か。

 

まあ、それはどうでもよくて

皆が思ったより何も考えていないということに気づく。

昨日、高校からの友達のC君と会った。

彼はどうやら授業で単位を取得するのだけが

目的となってしまっているようで、

そういうものなのかと納得した。

 

意外とよく聞けば結構面白い話をしている。

というか、いつも僕が

考えていたようなことを授業にしていた。

ここでも同じように、

意外とみんなこういうことを

考えていないのだなと感じた。

周りのみんなの興味が薄いということが

雰囲気から分かる。とても感じる。

なんだか寂しくなった。

 

勉強したら成功するのだろうか。

成功する近道になるだけだろうか。

成功させるのは僕がやるべきで、

その方法を教えてくれるのは

あらゆる知識人なのだろうか。

 

確信なんてできない世界で

どうやって自分のアイデンティティを見つけていこうか。

面白い毎日が明日も待っているのだと思う。

今日もいい一日だった。

明日も頑張ろう。