7月19日 ドラマ、特に朝ドラを見て

分からない。

人間はきれいな生き物か。

どんな時も笑いあって生きていくのが務めか。

 

汚い部分を隠して、

それを良しとすることに

何の意味があるのか。

汚いままでは、

僕らはいけないのか。

 

朝ドラを見て思う。

とてもきれいだ。

誰もが家族を守りたくて、

誰もがきれいに生きている。

きれいな部分だけを側面として描いている。

どうして汚い部分を描かないのだろう。

 

彼らだって性行為をしたから

子供が生まれた。

それによって命を出来るし、

命はいつだって尊い

しかしその部分は描写しない。

朝にそんなことを写すことは出来ない。

どうしてだろう。

 

朝ドラにビッチな女の子を主役として

据えてみたらどうだろう。

ほとんどが放送できない。

毎日SEX

いろんな体位も知っている。

駅弁なんて序の口だ。

松葉崩しだって日常茶飯事。

イラマチオなんて朝飯前だ。

 

そんな彼女も心にもやもやを

抱えているかもしれない。

それはなんだか若い僕らを

映し出しているような気がする。

 

きれいだけでは生きていけない僕らを。

というか大人を。

そんなことを抱えながら生きてきた大人たちを。

 

ドラマとしては、

朝ドラとしては、

とても面白い。

 

きれいなものを描いているし、

描くべきなのかもしれない。

人間とはそういうものか。

難しい。

 

人を下にだって見るし、

それを直視させられても

改心しない人間だっている。

 

こいつは最低だし、

僕らだって最低なのかもしれない。

そんなことを描くのは、

朝ドラというところにおいて、

ドラマというところにおいて、

大衆性を持ちながらでは

やはり難しいのだろうか。

 

もちろん描いているものもある。

そんなことは分かっている。

けれど、それが大衆化していないという事実もある。

それはどうしてなのだろう。

 

大衆向けの映画としては成り立たないのだろうか。

大衆は主人公に異常な純朴さを望むのであろうか。

難しい。

 

ここまで言っていてなんだが、

僕は朝ドラが大好きだ。

だからこそ思う。

 

これが朝ドラであるべきなのだろうか。

これこそが、このフォーマットこそが、

朝ドラであるべきなのだろうか。

すごく難しい。